オーウェルの不幸な誕生日2005/09/09 16:04

オーウェルの不幸な誕生日

ノーマン・ソロモン

ジョージ・オーウェルの誕生日が気がつかないうちに過ぎた。1903年6月25日生まれの偉大なイギリス人作家が亡くなって半世紀過ぎたが、オーウェル風言語は生き続けている。

詩人のW.H.オーデンが「オーウェルがまだ存命であったならとどれほど切望することか。現代の出来事について彼の見解が読めただろうに!」といった言葉をそのままオウム返ししたくなる理由は当節山ほどある。

今日アメリカ合衆国において、政治議論についてのメディア報道は、「我々の思考が愚劣になっている為に、言語が醜悪で不正確になっているが、我々の言語のいい加減さが、我々が馬鹿げた思考を抱きやすくしている。」というオーウェルの観察を立証している。

ニューズ・メディアが事を悪化させることは頻繁にある。レポーター達は、騒動を吟味する代わりに、厳かに伝言する傾向がある。若干自分の意見を付け足した上で。

アメリカ政治の標準的専門用語はオーウェルを愕然とさせるほど上滑りな語り口のしろものだ。こうした語彙は、吟味無しに反復することによって力を得ている。

オーウェルの仕事を継続するには、我々を至る所で包囲しているメディアのきまり文句を疑ってみるべきだ。例えばこんな具合だ。

中道主義者:エリート仲間内での親愛の情を示す用語。通常、淀んだ水の中で行き詰まった船さえも揺すろうとしない政治家に対して着けられる。

改革:かつて腐敗や特権を無くすことを目指す変化を指す言葉だった。今やこの言葉は、あらゆる政策変更に対して都合の良い光沢を与えている。政治的意図が何であれ、それを載せたトラックで通り抜けるのに、十分に曖昧でぽっかりとあいた言語学的抜け穴。

超党派の:通常げす連中からは見えないところで秘密裏に合意される、偉大なる一致と国家目標を現す二大政党を歓呼する形容詞。

特別利益団体:普通、何百万人もの人々の選挙民集団、つまり老人、貧しい人々、人種的少数派、労働組合員、フェミニスト、ゲイ...等に対する否定的なレッテル。以前は、政治に影響を与えるのに、人数では負けているので札束を使う金持ち集団を指した軽蔑的用語だった。

情報筋によれば:高所からの漏洩情報で、ジャーナリズム用シャンペンとして供されるもの。

専門家:頻繁に出番があり入念に選び抜かれたこの人々は、世間一般の信じやすさから次回の収穫を得るための肥料を供給している。

防衛予算:実際の国家防衛とはほとんど無関係なくせに、こうした支出は最も罪のない呼び名を必要としている。

アメリカ政府高官:無名で、実態よりも大きい。異なる文化においては「神の使者」と呼ばれたりする。

法の支配:ルールを決める連中が、法律を定める場合に起きること。海外であれ国内であれ、時として暴力的に。

国家安全保障:あらゆる外交的、或いは軍事的作戦...或いは、あらゆる望ましからぬ情報抑圧用のできあいの口実。

地域の安定:現存する惨事の継続を正当化する小綺麗な言い回しとして使える。

西欧の外交官:忍耐と智恵の砦ともいうべきこうした人々は、外国の地政学的水域を航海するための羅針盤だ。

西欧:良きグローバル勢力の同義語として用いられることが多い。

ジョージ・オーウェルは彼の最後の小説『1984年』を、1940年代後半に書いた。その頃に、アメリカ「陸軍省」(War Department)は「国防省」(Defense Department)になった。オーウェルの小説は「ある種のニュースピーク言葉の特別な機能」が「意味を表現するというより、意味を破壊する」ことを予期していた。

そのような言葉や言い回しの繰り返しは、果てしがない。岩への絶えざる点滴同様、その集積効果はとてつもなく大きい。

言語、対話そしてディベートは、民主主義的な手順には不可欠な道具だ。しかしながら、言葉が鈍器として振り回される時、それは我々の心を昂揚させるというより、脅えさせる。

言葉が投影する誇張されたまぼろしが、ここ数十年の間増えているが、それも新しいことではない。スチュワート・チェースは1938年にこう書いた。「言葉と物事の同一化は、『豚ってうまい名前をつけたね、あいつらほんとに汚い動物だから。』という子供の発言が見事に表している」

不明確なシンボルより決して優れているわけではない言葉や言い回しが、概念という光景を支配するようになっている。土地そのものとごっちゃになった地図のようなものだ。聞き慣れた言葉が、考え方や出来事を調べるのではなしに、考え方や出来事にレッテル貼りするために使われることが余りに多すぎる。

ヴェトナムの「鎮定工作」(pacification programs=殲滅工作)から、イラクにおける「巻き添え被害」(collateral damage=民間人殺害)に至るまで、曖昧で婉曲的な言葉が、非人間的な政策をごまかすために長年にわたって使われてきた。

ジョージ・オーウェルは1950年、結核に屈し若くして亡くなった。しかし、あらゆる平易な言葉の背後を探り、それが往々にして曖昧にしている現実を暴く限り、彼の鋭敏さは生き続けさせられよう。

http://www.alternet.org/columnists/story/9391/

オーウェルの著作/リンク・ページもどうぞ。 http://www.asahi-net.or.jp/~IR4N-KHR/orwell/index.html

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