ビルマ経由「動物農場」への道 ニューヨーク・タイムズ2005/09/12 11:54

ビルマ経由の「動物農場」への道 ニューヨーク・タイムズ

'Finding George Orwell in Burma'書評

ビルマ経由の「動物農場」への道

ウイリアム・グライムズ
2005年6月7日

イートンを卒業したばかりのジョージ・オーウェルは、植民地行政の警察官として五年間ビルマで暮らす。彼は「帝国の汚れ仕事」にうんざりして1927年にビルマを去ったが、ビルマのほうは決して彼から去らなかった。ビルマは小説「ビルマの日々」と彼の最も有名なエッセイ「象を撃つ」の素材を提供した。最晩年、結核で死の床にありながら、彼は、若いイギリス人が植民地ビルマにおける体験のせいで永久に変わってしまうことを書いた中編小説「喫煙室物語」の梗概を書いていた。

FINDING GEORGE ORWELL IN BURMA(翻訳「ミャンマーという国への旅」晶文社刊)
エマ・ラーキン著
294ページ。Penguin Press. $22.95

エマ・ラーキンは本書「FINDING GEORGE ORWELL IN BURMA」(=ビルマでジョージ・オーウェルを探す)の中で、ビルマ中で若きエリック・ブレア(筆名を使うのは後年のことだ)の後をたどる。彼の政治的な物の見方と著作を形作るのを助けた体験を再び想像するために、彼が暮らし、働いた場所を再訪する。嘆き悲しむような、瞑想的な、興味をそそる風変わりな本書は、あいのこのようなもので、文学的発見の実習であり、またオーウェルを、特に「動物農場」と「1984年」を書いたオーウェル説明するために、そして現代ミヤンマー(国名はこう改名されている)の窮状を説明するためにビルマを使った政治的紀行文でもある。

「ビルマの日々」は、この国の北部カターが舞台だが、オーウェルがそこにたどり着くまでには数年かかった。彼の勤務の旅はマンダレーの警察官訓練学校で始まり、そこで貧乏籤を引いた。わずか19歳で、下ビルマのデルタ地帯に派遣されたのだ。ラーキンは書いている。そこは「帝国最大で、もっとも元気のよい蚊」がいることで有名で、デルタで暮らしたイギリス人は、この蚊の幻にいつまでもつきまとわれて、部屋に駆け込み、素早く背後でドアをぴしゃりと閉める癖ですぐわかるという。

オーウェルは後にビルマ時代を「らっぱの音がする退屈な五年間」だったとかたづけている。実際は、彼は大変な犯罪の大波のただなかに上陸していた。強盗、暴力と殺人に精を出す流浪の暴力団が、ビルマを「インド帝国の最も暴力的な一角」に変えていた。秘密情報を集め、デルタの運河を遡上し、犯罪者達を探し出すのがオーウェルの職務だった。イギリスのきめの細かい監視網と、それを織りなす官僚主義は、オーウェルが「1984年」を書くにあたって計り知れないほど大切なことがわかったのだとラーキンは仮説をたてる。彼が嫌悪するに至った体制のために仕事をする時の圧倒的な孤独感もそうだった。

オーウェルの時代、ビルマは繁栄する国だった。今日、40年以上も続いている執拗な独裁制のもと、ミヤンマーは東南アジア最低の収入であり、世界でももっとも未開発の国の一つに位置する。外敵がないのに、ほとんどアメリカ合衆国並みの規模の軍を維持している。秘密警察と市民密告者という東ドイツ秘密警察、シュタージ風の制度が国民をしっかりと監視している。

全てを支配する検閲法は、「間違った思想」「時代に合致しない意見」さらには、実際には正しくとも、「それを書いている時代或いは情況ゆえに不適切である」発言にまで適用されてしまう。この軍国主義的な未発展国家の支配政党は、自ら十分にオーウェル風の名称を採用した。「国家平和開発評議会」だ。

公の会話で唯一安全な話題は、富くじ、天気やサッカーの類だ。旅の間、果てしないお茶のお代わりを飲みながら、ラーキンは、息をつく余地が欲しくてたまらない、怯えた国民の抑えられた告白を引き出す。「see you later, alligator」がアメリカの最新スラングだと考えているような新事情通志望者で、単に自分の英語を試してみたがるという人たちもいる。植民地統治の終焉時に取り残されてしまった英ビルマ混血のある老齢の女性は、最後に残ったイギリス製の瀬戸物を愛でながら古き良き昔を追憶する。

心情をぶちまける人々もいる。悩みを苦々しい所感に煎じ詰める人々もいる。「ビルマ人は十分満足しているのですよ」ある男性はラーキンに言った。「なぜだかわかりますか?何も残されていないからですよ。私たちは絞りに絞りとられてしまって、何も残れされていないのです。」

オーウェルの二冊の政治的小説を「ビルマの日々」の続編として読んでいるラーキンは、奇矯ではないし、ミヤンマーで暮らしているわけでもない。BBCのビルマ語部門が「動物農場」をラジオ・ドラマ化したものを数年前に放送した時、視聴者はそれについて何週間も語り合ったのだ。彼等にとって、オーウェルの寓話はミヤンマーの窮状をあざやかに描いていたのだ。議論の話題になるのは唯一どの動物が実生活のどの人物なのかということだ。

ラーキンが国中を旅するにあたって、警察、軍関係者、官僚、スパイ、密告者や外国人とのあらゆる出会いを報告するよう指示されている一般市民によって移動は尾行され、時には妨害された。ある宿で宿帳に記入する際、彼女は九カ所の別々の部署に提出すべき書類を書かされた。地元の市場で買い物をすると、警察の密告者が、何度も何度も、彼女は何者で、どこに行くつもりなのか、そして何を探し出そうとしているのかを訊ねてしつこく後につきまとった。言葉を交わした大半のビルマ人の名前を彼女は変えており、ミヤンマーへ再入国を妨害されないようにするため、本書も筆名で刊行した。

ラーキンは最後にはカターに向かうのだが、オーウェルが持ち主にとってきわめて高価な資産であるあの象を射殺した罰としてカター配属になったのかも知れないと彼女は示唆する。「ビルマの日々」の目玉であるカター・テニスクラブは今も存在している。クラブの建物は今では政府の共同組合倉庫になっている。テニス・コートは奇妙なことに審判の椅子と夜間照明もそのままだ。オーウェルにとってクラブはあらゆる帝国の不正の象徴だった。
帝国は消滅したが、不正は消滅していない。両方の体制で暮らすだけ年齢のいったラーキンのあるビルマ人の友人は彼女にこう語る「イギリス人は私たちの血を吸ったかも知れないけれど、ビルマ人の将軍達は骨までしゃぶるんだから!」

http://www.nytimes.com/2005/06/07/books/07grimes.html?ex=1275796800&en=ea8f8956abcbb6c4&ei=5090&partner=rssuserland&emc=rss

朝日の書評(2005/10/2(にも掲載されています。

http://book.asahi.com/review/TKY200510040274.html

かみにいのる?2005/09/12 20:10

ロシア語でかまきりはボゴモル。神にいのる人ということのようです。
今日のインクと紙による大本営チラシやら、電気紙芝居をみていると、無信心ながら、思わず手を合わせてしまいたいような気分に。
ロシア語では「かまきり」のことをボゴモル、つまり「神に祈る人」と言うのです。