英語教育はなぜ間違うのか2009/09/28 23:54

ちくま新書519、山田雄一郎著

知人のお子さん(小学生)に、英語を教えて欲しいといわれて、前に一度読んだ本書を、再読した。
実に、ごもっとも。
国がおしつける、いい加減な小学校からの英語教育なるものに、真っ向から、正論で反駁する良書。
ここにあげたのは、ほかでもない、オーウェルに触れた文章があったためだ。是非、購入の上、お読みいただきたいものだ。
日本語の基礎力を弱めて、自ら植民地化する政策をとることはないだろう。売国政策は、小泉・竹中ペア時代だけで、もうたくさんだ。民主党、見直しはしないのだろうか。しなければ、結局は、同じ売国政党。なお、大変に残念ながら、このblogの大元?朝日新聞の主筆、英語公用語論を主張して、植民地化の旗振りをしていることは、いくら強調しても、しすぎることはないだろう。

小学校低学年から教えるなどという無謀な政策や、アメリカ人学生に、大枚を払って、日本潜入工作支援(ALT)するのをやめ、中学、高校の先生方の留学などを進めて、英語力を全体的に底上げすればよいだろう。足りなければ、社会人投入も考慮する価値はあろう。(OBも)

以下、引用させていただく。

グローバル・リテラシーと英語

12ページ

第二次世界大戦をはさんでは、言語は政治的・思想的プロパガンダの道具と見なされた。言語と政治の関係に注目したイギリスの作家、ジョージ・オーウェルGeorge Orwellは、このテーマについていくつかの論文を残しているが、なかでも全体主義における言語統制の怖さを扱った小説『1984年』Nineteen Eighty-Fourはよく知られている。そこでの言語は、まさしく、大衆を支配し、敵を欺き、相手を倒すための武器として描かれている。

 オーウェルの作品から、五〇年以上が経過した。今日、この比喩は、どのような意味をもって使われているのだろうか。


16ページ 引用開始

イラク戦争と英語支配

 アメリカの帝国主義が顔を出しているとされる場所は、イラクである。そして英語は、そのイラクを統治している暫定統治機構の共通言語である。エッジは、「暫定統治とその権力委譲が終わったとき、イラクには英語があふれているだろう。英語なくして帝国主義は維持できないのだから」とも言っている。

引用終了

17ページ 引用開始

しかし、現実に生まれているものは、世界の新たな階層化である。どのような統一も、それが統一である限り、中心となる力を必要とする。現在のグローバリゼーションの中心勢力は、アメリカである。インターネットと英語はその尖兵である。その点から見れば、言語は現代の兵器であり、英語は最も優秀な武器ということになる。

引用終了

20ページ 引用開始

武器の獲得と英語教育

 義務教育の目的は、社会の求めるものに直接応じることではない。義務教育を、職業訓練と同列に扱ってはならない。仮に、英語が国際社会を切り抜けるための武器だとしても、それはあくまでも考慮すべきことであって直接の目的にすべきものではない。義務教育は、学習者が将来必要とするかも知れない諸能力を身に付けるための準備期間である。十分な基礎訓練こそ大切にすべきで、いたずらに断片的知識を増やすことを目的にしてはいけない。

引用終了

21ページ 引用開始

これからの日本人は英語ができなければならないという漠然とした思い込みは、かえってわれわれの英語学習を視野の狭いものにする恐れがある。学校英語教育の目的を英会話能力などに限定してはいけない。外国語の学習は、もっと豊かなものにつながっている。英語を丁寧に学習すれば、それまで見えなかった日本語が見えてくる。英語という言語が持っている広い世界は、われわれのものの見方に新しい視点を加えてくれる。それは、英会話の暗記学習では得られない刺激的で魅力にあふれた世界である。学校英語教育が英会話学校のまねごとになってはならない。その日的は、学習指導要領にある通り、正しく「コミュニケーション能力の基礎を養う」ことに置かれなくてはならない。

引用終了

そして、肝心なポイントは下記だ。

引用開始

英語公用語論と、これからの英語教育(見出しは119ページ)

120ページ

小学生に英語を教えるということは、日本人全員に英語を義務づけるということである。英語はこれからの日本人になくてはならない、と言っているのである。これは、まさに、報告書が目指している方向である。視点を変えるなら、「小学校英語」の問題は、形を変えた「英語公用語化」運動と言うこともできるのである。
 英語公用語論は、まだ、余力を残している。報告書が出された四ケ月後の2000年5月、民主党は、そのホームページ上に、「英語の第二公用語化についての提言(中間まとめ)」を公表した。「目指せバイリンガル社会!」という看板を立て、「私たちが目指す将来の日本社会は日本語も英語も同時に使用されるバイリンガル社会です。日本国内が他言語を公に受け入れる中で、真の意味で日本人の国際化が実現すると考えます」と述べている。その上で、10年後をめどに「公用語法」の制定を目指すとも言っている。10年後といえば、数えて六年後である。幸か不幸か、民主党のホームページには、この中間まとめしか掲載されていない。四年後のいまも追加報告はないが、いつ何時、最終報告が出されないとも限らない。新しいきっかけがあれば、さらに具体的な提案が現れる可能性は残っている。

引用終了

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