「続動物農場」?ジョン・リードの「スノーボールのチャンス」2005/09/30 20:43

ニューヨーク育ちで、911事件のおきたツイン・タワー・ビルから25ブロックの所で暮らす33歳の作者ジョン・リードJohn Reed(どこかで聞いたような名前)が、事件から三週間後に書き上げたオーウェルの名作「動物農場」その後のパロディ。 著者は「事件前日、ラファイエット通りを妻と歩きながら、Snowball's Chanceという題名を思いついた」「その題名が何かに結びつくものとは知らずにいた。翌日妻に起こされた。そしてテレビを見ながらその題名を思い出した」。 原稿はオーウェル財団にも送られているが、当然ながら財団は快く思っていないという。 この作品には、BBCが苦言を呈したり、オーウェルの後継者を自称する?ヒッチンスがかみついているようだ。

英語でsnowball's chance (in hell)という表現、「ほとんど見込みなし」という意味。

あらすじは以下の通り。

「動物農場」では、時とともに主な豚たちが年老いて亡くなっていった。そこにひょっこり、かつて駆逐されたあのスノーボールが現れた。 ともあれ受け入れられ、やがて実権を握ったスノーボールは大胆な改革を導入し、動物たちに、空調、暖房、お湯、窓完備の家畜小屋という「快適生活」を提供する。ソ連式共産主義から一転、アメリカ現代資本主義。動物は皆二本足で歩き、着物を着るようになる。この快適な生活に不可欠な電気を発電する為、教養ある山羊を招いて「双子風車=ツイン・ミル」を建設する。

やがて高水準の生活を目指して新たな動物、たとえばダチョウ等が続々と周辺地域から到来し始める。そうした動物にとり、さしあたっての職業は肉体労働。もとからいた動物は郊外に新築された快適な家畜小屋に移り、新参者が中心部の古い家畜小屋で暮らすようになる。中心部では軽微な犯罪が多発する。

水源地帯のウッドランドで暮らす動物の中には、「快適な生活」に賛同しない連中がいる。原理主義者のビーバーだ。以前は、近隣の農園の人間がしかけるワナにかかって命をおとすビーバーが多かったが、灯油によるワナ破壊技術によりそうした問題は解決するようになった。ワナ破壊の為に自己犠牲を払ったものは、1600本の清純な若木(あるいは1600匹の新鮮な毛虫、1600本のブラックベリーの藪など、各自の好みに応じたもの)が待ち受けているという。これを熱心に信じるものもあれば、信じないものもいる。誰が水源を抑えるかは、ビーバーにとって深刻な問題だ。動物農場側は、水源確保の為に多額の補償を提示するが、受け入れれば由緒ある「ビーバー法典」を曲げることになってしまう。豚たちの華美な生活にビーバーは不快感を抱いている。

動物農場は人間から融資を得て「動物フェア」というテーマパークを運営することになる。建設の為、動物に様々な役割が割り振られる。たとえばモグラとコウモリは「美観担当」だ。「動物フェア」は商業的に大成功する。出し物として芸達者な動物や犯罪者の告白ショウを用意する。ひきもきらないタレント希望者のオーディションは豚がする。観覧車も建設される。哲学的で冷静なベンジャミンも、そうしてやってきた芸達者のロバ、エメラルド親子に惚れ込んでしまう。

「動物農場」では 「全ての動物は平等だが、ある者は他の動物よりさらに平等だ」が標語だ。 新しい「動物農場」の標語は、 「全ての動物は生まれは平等。何者になるかは各人の自由」で、「どれだけのものを手にすることができるかは、どれだけのものを夢見ることができるか」にかかっている。

豊かな「動物農場」は周辺農家を買い取り、大いに拡張するが、生活水準維持の為に排出されるゴミ、汚水による環境問題の深刻化は避けられない。ゴミ焼却による大気の、排水による水の汚染。豚による訴訟も盛んにおこなわれるようになる。

「快適な生活」より由緒ある「ビーバー法典」に固執し、質素な生活を送るビーバーは、やがて攻勢に出る...。

Snowball's Chance John Reed 19.95ドル Roof books 2002年刊 ISBN 1-931824-05-3

Roof Books Snowball's Chanceの出版社 http://www.roofbooks.com/book/index.cfm?GCOI=93780100836410

http://www.asahi-net.or.jp/~IR4N-KHR/orwell/snowball.htmlから転載・編集

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_ 薫のハムニダ日記 - 2006/05/05 21:15

20XX年、教育基本法改○により教育現場が混乱したという想定で、アルフォンス・ドーデの名作、『最後の授業』をモチーフに書いてみました。


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「皆さん、私が授業をするのはこれが最後です。今後、学校では、“愛国心”だか“我が国と郷土を愛するホニャララな態度”だかなんだか先生にはよく理解できないのですが、まぁ、そんなのを教えなければいけなくなり、先生のような“反日的分子”は教えてはいけなくなりました。新しい 歴史教科書をつくる会 先生が明日見えます。今日は社会科の最後の授業です。

まず、先生が“反日的分子”を自認していること...

_ 本を読もう!!VIVA読書! - 2006/07/10 00:19

  
『君主論』 のわかりやすい新訳が出たと、友人から聞いて読んでみました。また、ある人から、このブログで『もうちょっと古典を紹介して』 と言われました(笑)。

学生時代に君主論だけでなく、政策論などを読みましたが、インパクトがあったというのは覚えていますが、とても難解で、内容を理解したとは言えませんでした。外国の古典を読むとなると、まずこちらの歴史的教養を試されているようで、なかなか手が出せません。

マキアヴェリについても、君主論そのものからではなく、それを解説した日本人の本で、マキアヴェリを理解していたように思います。

本書はすでに何種類も出ている訳書の中でも際立って、読みやすく書かれておりお薦めできます。他のものだと、失礼ながらこれは日本語か?と思わせるほどのものもあったように記憶しています。250ページほどの厚さですが、本文は半分くらいで、残りはすべて注釈です。

もう一つ、外国の古典を読むときの難点は、本文をいったん離れて注釈を読むことのわずらわしさですよね。本書の注釈は非常に読みやすいですし、訳がこなれているために特に注釈を無視してでもマキアヴェリの言いたいことは理解できるのではないでしょうか。

権謀術数の元祖のように言われますが、当時の君主が間違わないように、また民衆が君主にだまされないようにという知恵が詰まった一冊で、申し上げるまでもなく、現代社会にもそのまま使える名著だと思います。多くの人に読んで欲しいですね。

昔、会田雄次だと思うのですが、何かの著書の中で、なぜ日本人はこうも戦略がないのかと嘆いたあと、 “日本の政治家はもっと古典を読むべきで、欧米の指導者だけでなく、イラクのフセインであれ、金日成であれ、君主論や孫子など、暗記するほど読んでいる” と指摘していたのを覚えています。


http://tokkun.net/jump.htm


『君主論』マキアヴェリ(池田康 訳)
中央公論新社:244P:820円


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