兵士一人あたり標的の僧侶一人2007/10/01 23:02

軍隊内反乱だけが(そしてそれは可能だ)ビルマ軍事政権支配を終わらせられる

Emma Larkin 日曜日 9月30日、2007年 The Observer

ビルマにおける僧侶と軍部の衝突は、叙事詩的だ。片や2,500年以上にわたる仏教の知恵と非暴力主義という伝統。片や45年以上にわたる残虐な独裁的支配で手腕を磨いた軍隊権力。ビルマの僧侶の数は400,000から500,000人にのぼると推定されている。兵士の数はおよそ400,000人だ。だから兵士一人に僧侶ひとりという割合になる。

僧侶が、一週間前に平和的な抗議として行進を始めた時、軍事政権は気味悪いほど沈黙したままだった。そして火曜日に、弾圧は始まった。人数不明の僧侶が射殺され、僧院は 襲撃され、何百人もの僧侶が投獄された。

崇拝する宗教的秩序のメンバーに対するこの攻撃に対し、圧倒的に仏教徒が多いビルマ国民はどのように反応するだろう? 絶対的な恐怖を抱きながら、私は、連中が前回の攻撃でしたことを思い出す(1988年の全国規模の反乱の際には、人数不明の僧侶が射殺され、500人以上が収監された)。だがおそらく、国民の反応は、閉ざされたドアの陰で表現されるだろう。体制側は恐ろしく強力なスパイと密告者のネットワークを持っており、国民は、投獄と拷問を恐れ、公に体制にたいする異を唱える批判的発言を進んでしようとはしないことが多い。監視は余りに陰湿なため、私が出会ったビルマ国民は、自分の直接の肉親以外は誰も信用しなかった。ビルマ国民は、いとこや友人に対してさえ、包み隠さず話すようなことはしない。ビルマでどのようにして安全に調査をすべきかという助言をある友人に求めた時、自分を含め、会う人全員が密告者だと想定して行動することですよ、と彼は言った。

1988年の出来事以来、体制側はビルマ国内のあらゆる潜在的な反体制組織を抹殺し始めた。デモを先導し、組織していた学生コミュニティは、政治的に骨行きにされた。体制側は、監視と脅迫によって、国民が大勢で集まったり、組織化したりする社会的、政治的な空間がない国を作り出すのに成功した。私自身を含め多くのビルマ研究者は、1988年に起きた類の抗議は二度と起こり得ないと考えていた。このような抑圧的環境の中で、結果を出すのに必要な人数を集める方法など無いように思えた為だ。

それでもなお、過去二週間の間、僧侶は、わずか数週間前には想像することが不可能だったほどの大勢で立ち上がった。僧侶たちは、ほとんどの人々が先週以前そのような組織のことを聞いたことがない、地下深くで活動してきたに違いない組織、全ビルマ僧侶連盟連合によって率いられている。

ビルマ人の友人たちの多くは、このような驚くべき出来事にも驚かずにいた。ある友人は、常にあらゆる可能性に備えて旅をしている。つまり彼は、万一に備えて、列車旅行の間、一晩中横にならずにきちんと座り、身の回り品を膝の上にしっかり抱きしめていた。将来の出来事について私が彼に尋ねた時、彼は芝居のような仕草で、目をやぶにらみにして言った。「ビルマでは、どんなことでも起きる可能性がありますよ。」

この「どんなことでも」の中のどこかに、軍隊内反乱の可能性がある。多くの兵士たちにとって、僧侶を射撃したり、打擲したりするよう命じられることは、彼等がうけた精神的なしつけの本質に反するもので、又これからの人生ずっとひどい因果応報をうけ続けなければならないことをも意味する。しかも下級兵士達は国民の大半とある種の共通性を持っている。彼等も、貧しく、酷い扱いをうけ、怯えている。新首都に引っ越すまで、古いイギリス事務局、政権の主要な官庁建築の崩壊しかけた離れ家で暮らす兵士たちを良く見かけたものだ。ラングーンの中心で、こうした薄給の兵士たちは、まるでジャングルにいるかのように、石油ランプを灯し、キャンプファイアで料理をしなければならなかった。

過去数日間ビルマから流れてくる多くの噂の一つは、軍部の中が分裂している可能性があるというものだ。中央ビルマの軍隊がラングーンに向けて行進しているといわれている。僧侶を攻撃している兵士達と闘うためにやってくるのだという人々がいる。そうした兵士を増強するためにやって来るのだという人々もいる。こうした噂が本当であれ、嘘であれ、噂は、国民の希望と恐怖の正確な指標であることが多い。軍隊は我々を解放してくれるのだろうか、それとも我々を鎮圧するのだろうか?

もしも軍部が反乱の粉砕に成功すれば、これまでのところは、そうなりつつあるように見えるが、そうなれば体制側は、僧院制度を「破壊主義的な要素」と呼んで粛清しはじめ、更に多くの僧侶が投獄され、拷問されるだろう。体制側の情報工作員は頭を丸めて、僧院にもぐり込み、僧侶のふりをし、中に混じって読経する。僧侶世界に存在していた政治組織のためのわずかな空間も抹殺されるだろう。苦難の状況をはっきり発言しようという国民の試みも沈黙させられよう。

非武装の僧侶に銃を向けている兵士たち対して、ビルマ国民はどのような対応をするのだろう? ビルマ国民はどう対応できるのだろう? ビルマ国民が、一生にわたる弾圧と恐怖を押しやることができれば、殉教者となって、銃に向かって道路を歩きだせるだろう。また僧侶たちも同じことができるだろう。もしも僧侶たちがいまでも集結することができるのであれば。結局のところ、少なくとも兵士一人に対し、進んで射殺すべき僧侶がひとりはいるわけなのだから。

エマ・ラーキンは、Secret Histories: Finding George Orwell in a Burmese Teashop、John Murray刊の著者(「ミャンマーという国への旅」大石健太郎訳、晶文社刊)。ほとんど二年間を、この本を書く調査の為にビルマで暮らしたが、現在はタイのバンコックを拠点としている。

http://observer.guardian.co.uk/world/story/0,,2180449,00.html

過激! アメリカ人でなくては、思いつかない発想では?

NHKラジオ、20世紀イギリス小説 第9回は「1984年」2007/04/08 01:43

20世紀イギリス小説 その豊かさを探る

第9回は「1984年」

NHKカルチャーアワー
文学の世界
ラジオ第2放送
土曜日 午後9:30~10:00
再放送
翌週月曜日 午前10:40~11:10

20世紀イギリス小説
小林章夫上智大学教授

テキストは、本体850円(税込み893円)

第9回は
恐ろしき反ユートピア文学
ジョージ・オーウェル『1984年』

テキストは購入しましたが、聞き逃せません。

マイケル・クライトンのNext2006/12/27 21:08

遺伝子やら細胞をめぐるスキャンダルでは、しばらく韓国の元大学教授がもっぱら有名でしたが、ようやく日本もスキャンダルの仲間入りができたようです。
「遺伝子をめぐるお話」というのに興味をひかれ、この作家の本を初めて読みました。
「ジュラシック・パーク」という映画は、何度かテレビで見ているので、それに似た気楽な娯楽作品と思って読み始めました。興味深いエピソードが次々展開するのを追いかけている間に、読み終えました。
一面、遺伝子医療に関わる、追いつ追われつのどたばた喜劇でもあって、途中でやめられなくなります。そんなクローン生物ができるのか?と驚く登場人物というか、動物の描写にびっくり。
さすが人類学と医学を勉強した作家。遺伝子治療、遺伝子にまつわる特許、政治の問題が手際よく描かれていて、「ジュラシック・パーク」に負けない傑作娯楽映画になりそう。
実際の政治、生活にかかわってくるので、面白がっているだけでは済まないようです。
マスコミやら研究者、政治家、医薬品会社に対する見方はかなり辛辣。
学会での高官の演説やら、裁判所でのやりとりは、いかにもありそうな見事さ。
学会内での政治力の話やら、スキャンダルを生み出す元の?専門分野論文審査の難しさについても触れられています。
地球温暖化についてあつかった同じ著者の本で、既に翻訳されている「恐怖の存在」、色々と話題の的になっているようです。本書も同じように話題になるでしょう。少なくとも一般人の関心を高めてくれるという効用はありそう。
末尾には、遺伝子特許、遺伝子研究に関する彼の提言があります。全面賛成とは言いかねる気分ですが、ごもっとも。
巻末には面白そうな参考文献リストもあります。

イラク戦争に対する新マスコミ大攻勢 - ノーマン・ソロモン2006/11/20 00:01

イラク戦争に対する新マスコミ大攻勢

ノーマン・ソロモン
2006年11月16日 CommonDreams.org

アメリカ体制派メディアは、アメリカ軍のイラクからの撤退という選択肢に対し、大攻勢を開始した。

最近のメディア総攻撃において、フォックス・ニューズやウオールストリート・ジャーナルのような右派企業の社説欄は二等地だ。今や最強の砲撃能力は、アメリカにおけるマスコミの最も貴重な一等地、ニューヨーク・タイムズの一面にある。

現在の状況は、世論調査では大半のアメリカ人が反対していたのに、なぜベトナム戦争何年も続けられたのか疑問に思っている人々に対して、残忍な程に教訓的だ。今やイラク戦争に対する戒めだと一般に見なされている中間選挙結果の後を受けて、強力なマスコミ機関は無我夢中でアメリカ軍撤退反対の報道歪曲を続けている。

「今、イラクから撤退?そんなに早くはないと専門家は言う」という見出しのもと、11月15日のニューヨーク・タイムズの一面はマイケル・ゴードンによる「軍事分析」を大々的に扱った。記事は、アメリカ軍の撤退は「4から6ヶ月後に開始すべき」だと言う民主党議員がいるが「ブッシュ政権のイラク政策に対する最も激しい批判者達を含む多数の軍幹部、専門家、元司令官達がこの説に反対している。」というものだ。

ゴードン記者は数時間後、アンダーソン・クーパーのCNNショウに出演し、ご用評論家にすっかり変身して、撤退は「単純に、現実的ではありません。」と言い切った。ほとんどペンタゴンのスポークスマンのような口調で、ゴードンはなにやらわけのわからない理由を連ねて撤退反対と述べ続けた。

もしもニューヨーク・タイムズの軍事レポーターがテレビに出演して、11月15日のCNN出演時にゴードンが、いかなる撤退にも反対すると主張したような調子で、アメリカ軍の撤退をはっきりと主張すれば、彼なり彼女なりは即座に譴責され、恐らくタイムズのお偉方から常識外れと見なされよう。同紙報道部は、アメリカの国家安全保障という基本的世界観を自分のものとし、促進する報道に余念がない。

これこそ、いかに、そしてなぜ、ニューヨーク・タイムズの一面がイラク侵略準備段階のジュディス・ミラーの仕事に寛容だったかという理由だ。これこそが、いかに、なぜニューヨーク・タイムズが今マイケル・ゴードンにこれほど寛容である理由だ。

現時点で「ブッシュ政権のイラク政策に対する激しい批判者」なぞという範疇は事実上意味をなさない。マスコミお好みの「激しい批判者」の大半はイラク大虐殺に対するアメリカの関与を低減するのに反対で、中にはあからさまに占領の為にアメリカ軍のレベルを上げるよう促す連中さえいるのだから。

最近、イラクにおけるアメリカの政策についてのマスコミ報道は、ベトナム戦争の間、主流マスコミ各社がワシントンの選択肢をいかに描写していたかという様子の撮り直しリメークにしか見えないことが多い。ワシントン官僚間の「世間一般の通念」に対するいつもながらの盲従によって、多数の著名なジャーナリストはアメリカの戦争推進努力は続けなければならないと日々繰り返して主張する「Groundhog Day」続編共同製作者になってしまっていた。

サダム追放の年以来、無数のニュース記事やコメントがイラクにおいて今起きている災厄をベトナム戦争と比較している。だがそうした比較が両方の戦争におけるアメリカのマスコミ報道の最も困った類似を描き出すことはまれだ。

1968年であれ2006年であれ、ワシントンの報道企業の大半はアメリカ軍撤退を実行不可能で、非現実的なものとして描写しようと苦心している。

ベトナム戦争に対するマスコミ報道についての神話とは逆に、アメリカのマスコミは、アメリカのベトナムからの撤退を真面目に熟考する草の根の反戦感情から、はるかに遅れていた。この時間のずれは数年に及び、それはつまり、更に何万人ものアメリカ人と、恐らくはさらに百万人のベトナム人の死を招いた。

1968年2月行われたボストン・グローブによる調査では、アメリカ合衆国の主要日刊紙39紙のうち、アメリカ軍のベトナムからの撤退を社説にしたものは一紙とてなかった。今日、世論調査結果の反戦的な傾向と中間選挙結果にもかかわらず、現代マスコミ・エリートの間でも、イラクからのアメリカ撤退という主張は極めてまれである。

標準的なマスコミの逃げ口上はさながら血だらけのカンからを先に蹴り飛ばすごとくだ。基準にそって注意深く述べ、バグダッド政府にはきつくあたる(サイゴン政府の時と同様に)というのが議論を活性化せず、議論から身をかわす国家的マスコミ言説の特徴だ。

多くのジャーナリストは撤退という選択肢は全く現実的な選択肢ではないと言う考え方に立てこもっている。そしてまもなく議会を支配するであろう民主党員も、もし彼らが何が自分達にとって良いのかを知っていれば、そこまではあえてやるまい、いや、やるべきでないのだ、と我々は聞いている。

このようなマスコミ報道の中に潜んでいるのは、アメリカ戦争政策決定の本当の正統性は、議会でなく大統領にあるという思想だ。この話題について考えながら、42年前のCBS番組「Face the Nation」の場面のことを私は思い出す。

1964年の放送の司会者は広く尊敬されていたジャーナリストのピーター・リサゴールで、彼はゲストに言った。「上院議員、憲法はアメリカ合衆国大統領に海外政策を実行する独占的な責任を与えているのです。」

「とんでもない」ウエイン・モース上院議員は彼のしゃがれ声で割り込んだ。「今言ったこと以上にとんでもない法律的発言など不可能だ。それは、海外政策はアメリカ合衆国大統領のものだという古い誤った考えを普及するものだ。まったく馬鹿げている。」

リサゴールはあざけるような調子で問うた。「いったい誰のものですか、上院議員?」

モースはちゅうちょしなかった。「アメリカ国民のものです。」彼はやり返した。そして言った。「アメリカ国民に海外政策の真実を提供するよう私は主張しているのです。」

ジャーナリストは言い張った。「ご存じでしょう上院議員、アメリカ国民が海外政策を策定し、実行することはできませんよ。」

モースは憤然と対応した。「どうしてそんなことをおっしゃるのでしょう?アメリカ国民は、あなた方が真実を提供すれば、それを理解することができると私は確信しています。そして、私がアメリカ政府を責めているのは、我々がアメリカ国民に真実を知らせていないからです。」

オレゴン選出の先任上院議員のモースは、アメリカ合衆国憲法にも国際法にも強い情熱を抱いていた。そして海外政策は大統領が決めるものだという広く認められている考え方に反対しながら、彼はベトナム戦争について断固とした言い方をしていた。1968年2月27日の上院外交委員会聴聞会でモースは言った。「私はこの戦争の血を私の手に塗りたくはない。」

さらに予言するかのようにモースは付け加えた。「私の判断では、自分たちが世界平和に対する最大の脅威であるということで、私たちは罪に定められるでしょう。これは醜い現実ですが、我々アメリカ人は現実に直面したがらないのです。」

原文:
http://www.commondreams.org/views06/1116-34.htm

ウエイン・モース上院議員の行動の一例は、例えば下記をどうぞ。
http://www.jca.apc.org/~p-news/houhuku/lee.html