ジェームズ・ミッチェナーの「ハワイ」2005/09/08 18:56

かなり昔に購入した「ハワイ」というペーパーバックを、ようやく読み終えた。 典型的なジェムズ・ミッチェナー本で、とにかく長い。とはいえ、飽きずに読まされた。

まるで地学のような太古の時代の説明から始まり、古事記のような展開となり、やがてアメリカの宣教師の一団が渡来し、中国からさらわれた貧しい少女が、そして広島出身の日本人が、ハワイの中で育ってゆく。

中国からさらわれた少女が、さらった男の現地妻となり、さらにはハンセン病を発病した夫にともなって、姨捨山のごとき僻地に同行するくだりは圧巻だ。

農業用水の灌漑、コーヒー園、パイナップル。ハワイ王朝と日本の皇室の関わりや、日系人部隊など、後半の展開のほうが、古事記のような話よりは面白かった。

読みながら「アロハ・オエ」或いは「ハワイの結婚の歌」が頭のなかで鳴ることが頻繁だった。 今も「ハワイの結婚の歌」が頭の中で聞こえているような気がする。 ハワイ土着の人々は、楽しく歌って暮らすばかりで、資産を失ってゆく。

宣教師達の一族が、産業、商業、政治を握り、ついには、王制を廃して革命を起こすにいたる様を読んで、徳川のキリシタン禁制は正しかったのかもと思わされた。

しかし明治維新そのものが、アングロ・サクソンにあやつられた政変だろうし、さらにはアングロ・サクソンの代理?で日露戦争をさせられてのぼせ上がり、結局はアングロ・サクソンと戦うにいたり、とうとう属国となって、現在金も血も絞り取られ続けていることを考えれば、我々の運命もどうやらハワイ土着の人々とさほど大差なさそうだ。

かつて二巻の翻訳が刊行されたらしいが、webで探してもあまり見あたらない。

ハワイは仕事でわずか二日ほど滞在したことがあるだけで、会議に参加して、海水浴もせずに終わった。アラモアナ・ショッピング・センターで昼食を、海岸沿いの瀟洒なレストランで夕食を食べたことしか記憶にない。 この本を読んでからでかけたら、町を見る目が多少は違っていたかも知れない。 翻訳の復刊を望みたいものだ。

ジュリー・アンドリュースが主演したビデオがDVDにもなってでているようだが、これだけの大作を三時間でどうまとめたのだろうかと気になっている。

ジェームズ・ミッチェナーの「キャラバン」2005/09/08 19:04

アフガニスタン人と結婚したアメリカ女性が行方不明になり、在カーブルアメリカ大使館の情報担当官が、必死で彼女の行方を探すというお話。 キルギス邦人誘拐事件が起きたときに、この本を思い出し、あわてて注文して読みました。読みながら終始、個人的なイスラム諸国体験を思い出していました。 読み終えてしばらくすると、インド航空乗っ取り犯人がカーブルでタリバーンと交渉。テレビに映る空港風景を見ながら、またもや本書を思い出したものです。

原理主義的な宗教人の振る舞いや、ぞっとする死刑方法などの記述を読むと、わずか一週間ほどのイラン体験や、知人にみせられたクエートの公開絞首刑写真を思い出します。 テヘランで、ホテルの受付の男性は、壁に描かれた巨大なホメイニ像の方を向いて、「困ったものです」というように肩をすくめました。イラン航空では、お酒がでず、のめず、もちろんテヘラン市内滞在中も禁酒。帰国するまでつらい思いをしました。 若いOLの髪や手足を覆う布をはずすと予想もしないあでやかな髪型、服装に息をのんで見とれたのは、テヘランの商社事務所での思い出。

さて本書、エリート層は皆、欧米で留学生活をしており、彼らによって、やがては近代化するかも、という調子で話は終えます。しかし30年たってみると決してそうなっておらず、時間は止まったままのようで、むしろ今の情勢を描いているのではと思えてしまいます。 アメリカとロシアの援助競争の話もあって、そのながれからすると、ロシアのアフガン侵略も、寝耳に水の出来事でもなさそうです。 大陸を移動して生活する様々な部族が年に一度集まる行事の様子は壮大。

題名の由来でしょうが、彼らが部族で移動しながら、周囲の人々の財産を奪って去ってゆく様子の描写を読んで、今度はマドリッド空港でパスポートを盗まれた体験を思い出しました。話の中では、主人公の情報担当官、公用車を丸ごとそっくりばらされ、盗まれてしまうのですが。

アメリカ人女性の奔放な行動に腹をたてる一方、アメリカ留学体験をもつアフガニスタン人を気の毒に思いつつも、異文化中で主人公の冒険と恋愛がどうなるのかはらはらしながら、あっという間に読んでしまいました。

一口にイスラム教国といいますが、わずかな経験からすると、かなり多様な感じがします。 研修でおつきあいしたオマーン通信省幹部たちは、豊島園でジェットコースターに乗ったとき、「初めて心から『アラーの神よ』と叫んだ」といって爆笑したものです。原理主義とはおよそかけはなれた柔軟な人々でした。 地中海に面する某国ホテルでは、アラブ通信連合の総会に集う各国幹部相手に懸命に装置の説明をしている私に向かって、平然と流し目をくれる商売風女性すらいました。 一方その隣国では、通信省にゆくと大変な数の若い女性がひしめいているのに、街には現役女性の姿が皆無。街の大通りのベンチで男性同士手をつないで座っているカップルを多数みかけました。 自転車、バイクにまたがった青年が群がっている建物もありました。女子寮かなにかだとのこと。「出入りする女性の姿を一瞬でもいいからみたい」という男性心理、よーくわかりました。それに加えて、街の看板はアラビア語、ホテルでの会話はフランス語、息苦しいことこのうえありません。仕事を終えヨーロッパの空港に出て、女性も存在する風景をみて酸欠状態がようやくおさまったような気分になったものです。そうした多様なイスラム世界の中でも、この本の時代のアフガニスタン、かなり厳格な部類なのでしょう。

余談ばかりですが、ともあれ本書、冒険談を読みながら普段は触れない異国文化を味わえる作品ではあります。

2000/01/08記

バーミヤン石窟の仏像がとうとう破壊されたというニュースをききながら、またこの本を思い出したのです。1963年の本を昨年読んでも、決して旧いと思えなかったのでした。日本語の翻訳本が無いのはつくづく残念。

2001/03/05追記

http://www.asahi-net.or.jp/~IR4N-KHR/booke/caravans.html より転載

オーウェルの不幸な誕生日2005/09/09 16:04

オーウェルの不幸な誕生日

ノーマン・ソロモン

ジョージ・オーウェルの誕生日が気がつかないうちに過ぎた。1903年6月25日生まれの偉大なイギリス人作家が亡くなって半世紀過ぎたが、オーウェル風言語は生き続けている。

詩人のW.H.オーデンが「オーウェルがまだ存命であったならとどれほど切望することか。現代の出来事について彼の見解が読めただろうに!」といった言葉をそのままオウム返ししたくなる理由は当節山ほどある。

今日アメリカ合衆国において、政治議論についてのメディア報道は、「我々の思考が愚劣になっている為に、言語が醜悪で不正確になっているが、我々の言語のいい加減さが、我々が馬鹿げた思考を抱きやすくしている。」というオーウェルの観察を立証している。

ニューズ・メディアが事を悪化させることは頻繁にある。レポーター達は、騒動を吟味する代わりに、厳かに伝言する傾向がある。若干自分の意見を付け足した上で。

アメリカ政治の標準的専門用語はオーウェルを愕然とさせるほど上滑りな語り口のしろものだ。こうした語彙は、吟味無しに反復することによって力を得ている。

オーウェルの仕事を継続するには、我々を至る所で包囲しているメディアのきまり文句を疑ってみるべきだ。例えばこんな具合だ。

中道主義者:エリート仲間内での親愛の情を示す用語。通常、淀んだ水の中で行き詰まった船さえも揺すろうとしない政治家に対して着けられる。

改革:かつて腐敗や特権を無くすことを目指す変化を指す言葉だった。今やこの言葉は、あらゆる政策変更に対して都合の良い光沢を与えている。政治的意図が何であれ、それを載せたトラックで通り抜けるのに、十分に曖昧でぽっかりとあいた言語学的抜け穴。

超党派の:通常げす連中からは見えないところで秘密裏に合意される、偉大なる一致と国家目標を現す二大政党を歓呼する形容詞。

特別利益団体:普通、何百万人もの人々の選挙民集団、つまり老人、貧しい人々、人種的少数派、労働組合員、フェミニスト、ゲイ...等に対する否定的なレッテル。以前は、政治に影響を与えるのに、人数では負けているので札束を使う金持ち集団を指した軽蔑的用語だった。

情報筋によれば:高所からの漏洩情報で、ジャーナリズム用シャンペンとして供されるもの。

専門家:頻繁に出番があり入念に選び抜かれたこの人々は、世間一般の信じやすさから次回の収穫を得るための肥料を供給している。

防衛予算:実際の国家防衛とはほとんど無関係なくせに、こうした支出は最も罪のない呼び名を必要としている。

アメリカ政府高官:無名で、実態よりも大きい。異なる文化においては「神の使者」と呼ばれたりする。

法の支配:ルールを決める連中が、法律を定める場合に起きること。海外であれ国内であれ、時として暴力的に。

国家安全保障:あらゆる外交的、或いは軍事的作戦...或いは、あらゆる望ましからぬ情報抑圧用のできあいの口実。

地域の安定:現存する惨事の継続を正当化する小綺麗な言い回しとして使える。

西欧の外交官:忍耐と智恵の砦ともいうべきこうした人々は、外国の地政学的水域を航海するための羅針盤だ。

西欧:良きグローバル勢力の同義語として用いられることが多い。

ジョージ・オーウェルは彼の最後の小説『1984年』を、1940年代後半に書いた。その頃に、アメリカ「陸軍省」(War Department)は「国防省」(Defense Department)になった。オーウェルの小説は「ある種のニュースピーク言葉の特別な機能」が「意味を表現するというより、意味を破壊する」ことを予期していた。

そのような言葉や言い回しの繰り返しは、果てしがない。岩への絶えざる点滴同様、その集積効果はとてつもなく大きい。

言語、対話そしてディベートは、民主主義的な手順には不可欠な道具だ。しかしながら、言葉が鈍器として振り回される時、それは我々の心を昂揚させるというより、脅えさせる。

言葉が投影する誇張されたまぼろしが、ここ数十年の間増えているが、それも新しいことではない。スチュワート・チェースは1938年にこう書いた。「言葉と物事の同一化は、『豚ってうまい名前をつけたね、あいつらほんとに汚い動物だから。』という子供の発言が見事に表している」

不明確なシンボルより決して優れているわけではない言葉や言い回しが、概念という光景を支配するようになっている。土地そのものとごっちゃになった地図のようなものだ。聞き慣れた言葉が、考え方や出来事を調べるのではなしに、考え方や出来事にレッテル貼りするために使われることが余りに多すぎる。

ヴェトナムの「鎮定工作」(pacification programs=殲滅工作)から、イラクにおける「巻き添え被害」(collateral damage=民間人殺害)に至るまで、曖昧で婉曲的な言葉が、非人間的な政策をごまかすために長年にわたって使われてきた。

ジョージ・オーウェルは1950年、結核に屈し若くして亡くなった。しかし、あらゆる平易な言葉の背後を探り、それが往々にして曖昧にしている現実を暴く限り、彼の鋭敏さは生き続けさせられよう。

http://www.alternet.org/columnists/story/9391/

オーウェルの著作/リンク・ページもどうぞ。 http://www.asahi-net.or.jp/~IR4N-KHR/orwell/index.html

2001年のジョージ・オーウェル、墓から話しかける2005/09/10 10:14

2001年のジョージ・オーウェル、墓から話しかける

ノーマン・ソロモン

昨夜私はジョージ・オーウェルと会う夢を見た。あなたや私のように生身の彼と。

彼はニュースを見ていて、ひどく怒っていた。「戦争犯罪についてのこの全てのダブルスピークはすざまじいものだ」彼は言った。「あいつ、ミロシェヴィッチ、アメリカ政府は、彼を戦争犯罪で裁きたいのだろう。」

「ええ」私は答えた。「全ての評論家が同意しています。」

「だが一方で、イスラエル首相のホワイト・ハウス訪問にかかわるニュース報道は、彼もまた戦争犯罪人として起訴されてしかるべきだということを指摘しそこねている。結局、証拠は明らかに、アリエル・シャロンが、1982年、レバノンの、サブラとシャティラの難民収容所における何百人ものパレスチナ人虐殺に関与していたことを示している。なぜメディアのコメンテーターは彼をハーグ裁判所の被告席に立たせろと要求しないんだ?」

「ええ、アメリカ合衆国政府は、イスラエルとは親密なので...」

オーウェルは私を遮った。「私の質問は、答え不要の問いかけさ。分かっているよ。本当さ。」彼の声は震え、かすれはじめたので、断片的にしか聞こえなかった。「例は山のようにある...トルコ政府...アメリカの同盟国は...長年にわたってクルド人を殺害している...言語も文化も容赦なく抑圧している...報道機関は何をしている?」 彼は咳をして、弱々しくまた話はじめた。「ヘンリー・キッシンジャー...ヴェトナム、ラオス、カンボジア ... 東チモールでの大規模な殺人...チリを忘れてはならない... 公平な報道というならどこでも...」

「ここ数ヶ月」私は差しはさんだ。「ジャーナリストのクリストファー・ヒチンスがキッシンジャーにかかわる騒動をぶちあげましたし」

オーウェルははねつけるように手を振った。「けちな慰めだ...遅れたニュースなど、無視されたニュースも同じ事...うんざりするメディア操作だ...」

「大手メディア用にはかなり過激な発言ですね。」私は叫んだ。「でも当節あなたは、ほとんど至る所で崇められておられる。」

オーウェルは咳をしながらぞっとする笑いかたをした。次の言葉は最大の音量だった。「その通り。片方の手でかき抱きながら、もう一方の手で薄めるのさ。そして、恐ろしいほど薄い紅茶となって差し出される」

そこで私は突然目が覚めた。フロント・ポーチで新聞のドサッという鈍い音が響いた。「オーウェルさん」私はつぶやいた。「何とおっしゃいました?」しかし答えはなかった。窓越しに射すあけ方の光と、ナショナル・パブリック・ラジオ「朝刊版」のとおくからの音がするばかり。

ジョージ・オーウェルは1950年に亡くなった。21世紀に至るまで長生きしていたなら、彼はアメリカ合衆国における市民的その他の自由を大切にしつつも、この社会の、絶えず強化され続ける洗脳という根深いパターンを遺憾に思ったであろうことはまず間違いない。

知的従順さをもたらす「民主主義的な」手順と、狡猾な政治的プロパガンダを、オーウェルは大いに懸念していた。ソ連の専制政治を描いた風刺小説『動物農場』で、西欧から東欧へと糾弾指摘するだけで満足せず、ほぼ30年もの間、刊行されている本からは削除されていた挑戦的な前書きを書いていた。

その前書きにはイギリスにおける一般的な議論の情勢にかかわるこういう陰気な分析がある。「ロシア称讃が、たまたま現在は流行しているようだ。」オーウェルは鋭敏にも「このファッションは、まず長続きはすまいと思われる。」と推察していた。けれどもオーウェルはさらに続けていた。「ある正統派学説から違う学説に乗り換えることは、必ずしも進歩とは限らない。敵は、演奏されるレコードに同意するしないと無関係に、何でもかけてしまう蓄音機のごとき心性だ。」

現在では、オーウェルの「蓄音機」という例えはやや古めかしい。これは「CD的心性」とでも呼ぶ方がふさわしかろうが、彼の意見は今でも鋭くあてはまる。イデオロギーは、それが余りに支配的となり、イデオロギーとして認識さえされない状態になった時こそ、最も破壊的になる。

オーウェルが1945年のイギリスを描写する前書きで書いたことは、2001年のアメリカ合衆国にもそっくりあてはまる。「この国では、知的な臆病が、作家やジャーナリストが直面しなければならない最悪の敵である。... 公式の禁制など必要無しで、大衆から嫌われる思想は沈黙させられ、不都合な事実は隠される... いかなる時点においても、正しく思考する人々全員が、疑念を抱かずに受け入れるべきものとみなされている、思想の集合体としての正統学説がある」

1946年12月、アメリカでの『動物農場』刊行の四ヶ月後、オーウェルは評論家ドワイト・マクドナルドへの手紙の中で書いていた。「人々が、私は現状を擁護していると見なしているのだとすれば、それは、人々が悲観的になっていて、独裁主義、或いは自由放任の資本主義の他に、代替案がないと思いこんでいるからだろうと思います。」彼は更にこう言っていた。「私が言おうとしていたのは、『自分自身でやらない限り、革命など実現できない。情け深い独裁政治などというものは存在しない。』ということです。」

オーウェルは反共産主義者だった。彼はまた資本主義体制に猛烈に反対した社会主義者でもあった。これは現代のアメリカではどの巨大TVネットワークでも、常連コメンテーターとしての登場は不適格とされてしまう立場だ。

ノーマン・ソロモンの近著は"War Made Easy"

http://www.commondreams.org/views01/0629-04.htm

『動物農場』には掲載されなかった前書き、The Freedom of Pressの翻訳『出版の自由』は、岩波文庫『オーウェル評論集』で読めますが、品切れの場合が多いようで残念。