次の戦争の与太話をするマスコミ-ノーマン・ソロモン2006/09/29 01:07

次の戦争の与太話をするマスコミ-ノーマン・ソロモン

タイム誌の9月25日号は、イランに対する軍事攻撃に対して、アメリカの報道機関が、どれほど準備をしているかを例証している。イラン大統領マフムード・アフマディネジャドとのカバー・ストーリー・インタビューの見出しは「危険な心とのデート」だ。 大きな活字の副題で、彼を「その傲慢さでアメリカとの戦争の恐怖をかき立てている男」と呼び、二番目の段落はこう述べている。「イラン大統領の写真は往々にしてピース・サインをして見せているが、彼の行動は世界を戦争の縁に導きかねない。」

アメリカ最大の週刊誌、タイムが同日号でしているように、イランに対するアメリカの航空戦を良く調べているということは、我が国の戦争誘導装置の車輪が、別の国に対する別の、いわれない攻撃に向けて一層高速回転しているというもう一つの証しだ。

アフマディネジャドはワシントンとアメリカ・メディアの敵リストのトップに躍り出た。過去20年の間、このリストには、マヌエル・ノリエガ、サダム・フセインそしてスロボダン・ ミロシェヴィッチが挙げられており、ペンタゴンが大規模軍事攻撃を開始する前に、それぞれ激烈な悪口雑言を浴びせられた。

アメリカ合衆国の大統領が、外国の指導者に対して、マスコミ攻勢を開始したり、強化したりすると決めた時には、決まってアメリカの主流報道機関はしっかりその音量とヒステリーを強化してきた。しかし政権は、特定外国の独裁者の悪に沈黙して、戦争の犬の注意をそらすこともできる。

リビアの独裁者を例に取ろう。三分の一世紀以上にわたり、ムアマール・アル-カダフィ大佐は独裁者で、自国内の政敵に対する、彼の全般的弾圧の歴史は、ノリエガやミロシェヴィッチでさえ比較的寛容に思わせるほどだ。しかし2003年12月にカダフィがブッシュ政権と取引して以来の、カダフィの悪に対するワシントンの沈黙は注目に値する。

数週間前、カダフィが公的に自分の独裁37周年記念を祝った時、彼は国営テレビの演説で宣言した。「リビア内部のわが敵は粉砕されたが、そういう連中が新たに出現したら殺す準備ができていなければならない。」カダフィ政権は「反対政党を作ることを非合法化している。」とニューヨーク・タイムズは言及している。

現在イランの人権状況は非難されるべきだが、ワシントンお気に入りの多くの政府のもとでの現状は、はるかにひどい。報道機関は国内で、ご都合主義に貢献するのでなく、それを解決すべきなのだ。だがあまりに多くのレポーターと評論家たちがワシントンの地政学的指針をしっかり習得してしまい、ジャーナリズムの主流体制は内部から腐り続けている。その腐敗がほとんど人目を引かないということが、オーウェル風の「ダブルシンク(二つの矛盾した考えを、ともに妥当なものとして受け入れる二重思考」がどれほど当たり前となっているかの証左だ。

公衆衛生にかかわる懸念が医薬の課題であるのと同様、こんなことは専門家気質以前の問題だ。報道機関は、現在の出来事が改変できない歴史になってしまう前に、それを我々に知らせる早期警戒システムであるべきだ。

しかしメディア体制が情報の自由な流れをむしばみ、広範な議論を妨げるなら、その結果は民主主義のパロディでしかない。それが、四年前、メディアによるイラク侵略事前工作の間に起きたことだ。

今や危険信号はおびただしい。ブッシュ政権はイランをペンタゴンの視野に入れている。そして、戦争に向けての勢いは、核開発と人権に関わるご都合主義に支えられ、大統領がイラン攻撃を始めるのを渋っているがごとく描くアメリカのメディア報道によって、大いに景気づけられている。

タイム誌は書いている。「国務省、ホワイトハウス、そして軍事司令部上層部では、イランとの決定的対決 ... を避けることは不可能かも知れないという意見が広がりつつある。」

誠実なブッシュ大統領は戦争を避けたがっているのだと見なす、メディアによる同工異曲の歪曲は、イラク侵略前の数ヶ月にもあふれんばかりだった。報道機関がそうしたおとぎ話をすればするほど、戦争装置への一体化は進む。

原典は下記にあります。
http://www.commondreams.org/views06/0925-31.htm

ティム・ロビンスの愛国者法演劇2006/06/22 00:55

原題は、Tim Robbins's Patriot Act

Jordan Elgrably, AlterNet. 2006年3月2日掲載

ロビンス最新の芝居、オーウェルの「1984年」の翻案はブッシュ政権による「テロに対して永遠に続く戦争」について直接語っている。

死刑に関する「ときはなたれて」や、イラクにおけるマスコミに関する「Embedded」など見事な芝居を作った俳優で作家で監督であるティム・ロビンスが、政治色の濃い芝居を勇敢に作り続けるのは必然的なことかも知れない。

ロサンゼルスのアクターズ・ギャング・アンサンブルによる彼の最新作は、ジョージ・オーウェルの小説「1984年」に基づいて、サンフランシスコ・ マイム・トループの監督マイケル・ジーン・サリバンが脚本を書いた痛烈な芝居で、ビッグ・ブラザーが現れ、我々が苦しめられる。

アクターズ・ギャングの舞台は、サリバンとロビンスが、資本主義は、経済的搾取と、支配の為の手段として、とどまるところのない戦争を利用するのだ、と主張するビッグ・ブラザー最大の敵ゴールドシュタインが書いたという設定で出てくる本に焦点を当てているところが、これまでのオーウェル作品の翻案と大きく異なっている。

「今回の上演では、ここがかなめです」芝居を演出しているロビンスは語っている。「私にとってそれが主題です。今こそ、とても真実に聞こえるのですから。」1948年に書かれた作品で、オーウェルは未来を見ていたわけではなく、「彼を取り巻く社会を反映していました … 実際、彼が論じていたのは、戦争が少数派エリートが権力を持ち続け、脱工業化時代に経済資源を消耗するための手段になっていることでした。」とロビンズは指摘する。

実際アクターズ・ギャングの演出では、ビッグ・ブラザーが、永遠に続く戦争によって大衆を支配し、搾取する、エリートの少数派であることを暴露している。(ラムズフェルド国防長官がテロに対する戦争を「長い戦争」と呼び、ブッシュ政権が議会に対し来年の国防費予算として4390億ドルの支出を承認するよう要求したのはつい先日のことではなかったろうか?)

政府の支配について言えば、作家オーウェルが、ビッグ・ブラザーの絶大な権力に、圧政に虐げられた大多数に対して全く関心を持たせなかった事に、ロビンスは驚愕している。「彼の先見の明は驚くばかりです。あの本を読むと、プロールである85パーセントの人々、つまり貧困と過労の為にすっかり正気を無くしてしまって、娯楽と宝くじで骨抜きにされて、決して問題を起こさない連中のことなどは、気にかけていないというくだりがあります。… ビッグ・ブラザーが監視して、気にかけなければならないのは、残りの15パーセントの人々だ、と。」

2月11日に始まり4月8日まで続いた上演期間中、観客は、現在の出来事との類似を、面白がりながらも、不安を感じているように見えた。アメリカ国民を盗聴する国家安全用装置。軍隊によるアフガニスタン、イラクやグアンタナモの刑務所における拷問の利用。テロリスト容疑者を誘拐して、何ヶ月、何年にもわたる尋問の為、シリア、エジプトあるいはサウジ・アラビア政府へ送り出すことを意味するブッシュ政権の婉曲語法「引き渡し(rendition)」。

ロビンスの演出は殺風景で、劇団のいつもの軽快で皮肉な舞台からの一種の離脱だと監督は感じている。

「これは皮肉ではありません」彼は指摘する。「ドラマとして、ユーモアもあることに気がつきました。」舞台上でほぼ二時間近くも拷問を受ける哀れなウインストン・スミスがユーモアだろうか? こじつけではないという人はいない。耳をつんざくような音楽と電極は尋問用道具の一部だ。この芝居のユーモア、現在のものは、不意に現われる、一時的なものだ。

テレスクリーンは、当然至る所に。

この「1984年」演劇版の大半は不気味なほど現実的で、全体主義的な未来社会を描いたマイケル・ラドフォードの映画「1984年」とはにても似つかない。ロビンズは映画バージョンをニューヨークで撮影する予定だ。「基本的に、今の姿そのままでいきます。大がかりな特殊効果なし。未来的な映像なし。現在の姿そのままです。」

「それよりも、心と自己検閲の問題なのです」と彼は続けて言う。「オーウェルは、後で身につけた獲得性自己検閲について書いているのです。皆がビッグ・ブラザーの存在を許してしまえば、ビッグ・ブラザーは存在するというアイデアです。怯えながら生きている人々がたくさんいること、それこそが、彼の書いていたことなのです。心の中の全体主義です。」

ロビンスに、彼のことを左翼のアジプロ宣伝だと非難する評論家について尋ねると、一瞬言いよどんだ。「誰かが左翼側から、あるいは進歩的な視点から、何かについて異議を申し立てると、いつだって即座に「政治的」だというラベルを貼って決めつけるのです。芸術作品として、わざと過小評価する策略です。一種の攻撃です。」

ロビンスはこれまでに何度もあえて危険に身をさらしてきており、その都度、彼自身あるいは家族、俳優で活動家であるスーザン・サランドンと二人の子供に対する余波を受けてきた。このカップルがイラク戦争反対を公言した時には、一家は殺すという脅迫を受け、公式行事への出席も没になった。

ロビンスは、エンタテインメント産業が我々が信じている以上にはるかに保守的であることを非難している。「過去十年間の中で最も決定的な瞬間、イラク戦争直前のことを指摘しましょう。ハリウッドは事実上、それについて沈黙していたのです。多くの人が私に言いました。「今は抗議すべき時期じゃない」と。でも、もし今がそうすべき時でないなら、一体いつがそうすべき時なのでしょう?」

米憲法修正第1条で保障された権利、つまり表現や宗教の自由の権利を行使することで、 経歴が損なわれていることはないとロビンズは言う。「自由の権利を行使しても傷つくことはありません。」と彼は言う。「それに、もしも傷つくようであれば、そんな自由とは何でしょう? 一回目のイラク戦争前に彼らは私に言いました。「ワシントンに行って抗議してはいけない。あなたの経歴に傷がつくよ。」それから二年の間に「ボブ・ロバーツ」と「プレイヤー」を作り、それから「ショーシャンクの空に」と「未来は今」を作りました。このイラク戦争後、「ミスティック・リバー」でオスカーを獲得しました。

ダブルシンク(二重思考)とニュースピーク(新語法)は、依然としてロビンスの「1984年」の顕著な特徴で、ブッシュ政権がネオコンの目論見のため、大衆管理の手段として、恐怖を声高に広め、対立状態につけ込んでいる今ほど、この悪夢が余韻を持つ時はあるまい。レーガン-ブッシュ政権時代を通じて、またクリントン政権時代を通じて、今に至るまで、右翼的なラジオ番組や他のマスコミ連中は、左翼や民主党に対して効果的なキャンペーンを継続し、アメリカ人によるアメリカ人憎悪を助長してきているとロビンスは主張する。

「今や連中は全てを手に入れました。」彼は言う。「経営陣を取り込みましたし、議会も制覇しました、司法の大半も支配していますし、事態は悪化しています。もしも平均的なアメリカ人が、遅かれ早かれ、過去25年間だまされ続けてきたということに気がつかないことには…」

「私は敵ではありません。」ロビンスは言う。「私はアメリカ人労働者を、平和と正義を擁護してきたのです。敵ではないでしょう。敵とは、この国において憎しみが必要だと皆に信じ込ませようとしている連中です。皆の憎悪は、皆の最大の利益など考えていない連中、つまり、ワシントンにいて皆の代表などしてはいない連中の権力を維持させ、それを増長させる役にたっているだけです。連中は工場を閉鎖し、中国で一番高値をつけてくれる入札者に仕事を投げ売りするのです。なんと非アメリカ的でしょう? それなのに、連中は神様やら国家とまんまと手を組んで、この幻想を過去25年間に渡って売り込み、刷り込み続けてきたのです。実に賢明かつ有効なプロパガンダです。」

現代の国民に「同意しない」気風が欠けているとすれば、それはあまりの安楽さの結果かもしれないとロビンスは言う。「皆、自分は快適だと思いこんでいるのです … テレスクリーンにからみとられて、信じこんでいるのです。「娯楽と気晴らしと広告」という文化を受け入れているのです。」

ロビンズのように有力な立場にある名士で、大衆娯楽を超えた場面で発言しようとする人はほとんどいない。最近のジョージ・クルーニーという例外を除いて、人前で進んではっきりものを言える進歩的芸能人のリストは悲惨なほど短い。

ブッシュ政権は、リベラルな主張を遠慮無く発言するアメリカ人のことをスパイしているだろうか?

ロビンスは言う。「連中が [盗聴]のことをとても隠したがる理由は、連中がニクソン流の罠にはまっているからだと本気で思っています。連中は自分たちの嘘と欺瞞に対して極端な妄想症になっていて、自分たちに反対する連中を監視したい気持ちになるのです。」

「1984年」が2006年で、敵から情報を引き出すためアメリカが「拷問」を行っているのだとすれば、ビッグ・ブラザーの監視を避けるため、ロビンズは依然として手の内を見せることを拒否している。政府が自分を監視している可能性があると言いながらも、「妄想症は、戦争に負けているというあかしです。」と彼は語っている。

元の記事
http://www.alternet.org/story/32965/

アクターズ・ギャングのWeb
http://www.theactorsgang.com/

芝居「1984年」のプログラムPDF
http://www.theactorsgang.com/pdf/1984_prgrm_full.pdf
なぜ「1984年」か、で始まるティム・ロビンスの文も読めます。

ActorsGangStudyGuide1984pdf
http://www.theactorsgang.com/pdf/ActorsGangStudyGuide1984.pdf
立派な教科書!

マイケル・ジーン・サリバンのWeb
http://www.michaelgenesullivan.com/michael/michael.htm

サンフランシスコ・ マイム・トループのWeb
http://www.sfmt.org/

-----
http://www.asahi-net.or.jp/~IR4N-KHR/orwell/trobbinsp.html
より転載。

マルチン・ニーメラーの言葉2005/09/13 21:15

マルチン・ニーメラーの言葉

有名な「ニーメラーの言葉」、どうも人ごとではなさそうで。気がついてからでは遅いというのが、人間の常でしょう。

ドイツで、連中はまず共産主義者達を逮捕したが、私は黙っていた。

自分は共産主義者でなかったから。

次に、連中はユダヤ人達を逮捕したが、私は黙っていた。

自分はユダヤ人でなかったから。

次に、連中は労働組合員達を逮捕したが、私は抗議しなかった。

自分は労働組合員でなかったから。

次に、連中はカトリック教徒を逮捕したが、私は抗議しなかった。

自分はプロテスタントだったから。

次に、連中は私を逮捕したが、もはや抗議する者は誰もいなかった。

http://internet.ggu.edu/university_library/if/Niemoller.html

良く調べてあるのは、下記webです。

http://www.history.ucsb.edu/faculty/marcuse/niem.htm

ビルマ経由「動物農場」への道 ニューヨーク・タイムズ2005/09/12 11:54

ビルマ経由の「動物農場」への道 ニューヨーク・タイムズ

'Finding George Orwell in Burma'書評

ビルマ経由の「動物農場」への道

ウイリアム・グライムズ
2005年6月7日

イートンを卒業したばかりのジョージ・オーウェルは、植民地行政の警察官として五年間ビルマで暮らす。彼は「帝国の汚れ仕事」にうんざりして1927年にビルマを去ったが、ビルマのほうは決して彼から去らなかった。ビルマは小説「ビルマの日々」と彼の最も有名なエッセイ「象を撃つ」の素材を提供した。最晩年、結核で死の床にありながら、彼は、若いイギリス人が植民地ビルマにおける体験のせいで永久に変わってしまうことを書いた中編小説「喫煙室物語」の梗概を書いていた。

FINDING GEORGE ORWELL IN BURMA(翻訳「ミャンマーという国への旅」晶文社刊)
エマ・ラーキン著
294ページ。Penguin Press. $22.95

エマ・ラーキンは本書「FINDING GEORGE ORWELL IN BURMA」(=ビルマでジョージ・オーウェルを探す)の中で、ビルマ中で若きエリック・ブレア(筆名を使うのは後年のことだ)の後をたどる。彼の政治的な物の見方と著作を形作るのを助けた体験を再び想像するために、彼が暮らし、働いた場所を再訪する。嘆き悲しむような、瞑想的な、興味をそそる風変わりな本書は、あいのこのようなもので、文学的発見の実習であり、またオーウェルを、特に「動物農場」と「1984年」を書いたオーウェル説明するために、そして現代ミヤンマー(国名はこう改名されている)の窮状を説明するためにビルマを使った政治的紀行文でもある。

「ビルマの日々」は、この国の北部カターが舞台だが、オーウェルがそこにたどり着くまでには数年かかった。彼の勤務の旅はマンダレーの警察官訓練学校で始まり、そこで貧乏籤を引いた。わずか19歳で、下ビルマのデルタ地帯に派遣されたのだ。ラーキンは書いている。そこは「帝国最大で、もっとも元気のよい蚊」がいることで有名で、デルタで暮らしたイギリス人は、この蚊の幻にいつまでもつきまとわれて、部屋に駆け込み、素早く背後でドアをぴしゃりと閉める癖ですぐわかるという。

オーウェルは後にビルマ時代を「らっぱの音がする退屈な五年間」だったとかたづけている。実際は、彼は大変な犯罪の大波のただなかに上陸していた。強盗、暴力と殺人に精を出す流浪の暴力団が、ビルマを「インド帝国の最も暴力的な一角」に変えていた。秘密情報を集め、デルタの運河を遡上し、犯罪者達を探し出すのがオーウェルの職務だった。イギリスのきめの細かい監視網と、それを織りなす官僚主義は、オーウェルが「1984年」を書くにあたって計り知れないほど大切なことがわかったのだとラーキンは仮説をたてる。彼が嫌悪するに至った体制のために仕事をする時の圧倒的な孤独感もそうだった。

オーウェルの時代、ビルマは繁栄する国だった。今日、40年以上も続いている執拗な独裁制のもと、ミヤンマーは東南アジア最低の収入であり、世界でももっとも未開発の国の一つに位置する。外敵がないのに、ほとんどアメリカ合衆国並みの規模の軍を維持している。秘密警察と市民密告者という東ドイツ秘密警察、シュタージ風の制度が国民をしっかりと監視している。

全てを支配する検閲法は、「間違った思想」「時代に合致しない意見」さらには、実際には正しくとも、「それを書いている時代或いは情況ゆえに不適切である」発言にまで適用されてしまう。この軍国主義的な未発展国家の支配政党は、自ら十分にオーウェル風の名称を採用した。「国家平和開発評議会」だ。

公の会話で唯一安全な話題は、富くじ、天気やサッカーの類だ。旅の間、果てしないお茶のお代わりを飲みながら、ラーキンは、息をつく余地が欲しくてたまらない、怯えた国民の抑えられた告白を引き出す。「see you later, alligator」がアメリカの最新スラングだと考えているような新事情通志望者で、単に自分の英語を試してみたがるという人たちもいる。植民地統治の終焉時に取り残されてしまった英ビルマ混血のある老齢の女性は、最後に残ったイギリス製の瀬戸物を愛でながら古き良き昔を追憶する。

心情をぶちまける人々もいる。悩みを苦々しい所感に煎じ詰める人々もいる。「ビルマ人は十分満足しているのですよ」ある男性はラーキンに言った。「なぜだかわかりますか?何も残されていないからですよ。私たちは絞りに絞りとられてしまって、何も残れされていないのです。」

オーウェルの二冊の政治的小説を「ビルマの日々」の続編として読んでいるラーキンは、奇矯ではないし、ミヤンマーで暮らしているわけでもない。BBCのビルマ語部門が「動物農場」をラジオ・ドラマ化したものを数年前に放送した時、視聴者はそれについて何週間も語り合ったのだ。彼等にとって、オーウェルの寓話はミヤンマーの窮状をあざやかに描いていたのだ。議論の話題になるのは唯一どの動物が実生活のどの人物なのかということだ。

ラーキンが国中を旅するにあたって、警察、軍関係者、官僚、スパイ、密告者や外国人とのあらゆる出会いを報告するよう指示されている一般市民によって移動は尾行され、時には妨害された。ある宿で宿帳に記入する際、彼女は九カ所の別々の部署に提出すべき書類を書かされた。地元の市場で買い物をすると、警察の密告者が、何度も何度も、彼女は何者で、どこに行くつもりなのか、そして何を探し出そうとしているのかを訊ねてしつこく後につきまとった。言葉を交わした大半のビルマ人の名前を彼女は変えており、ミヤンマーへ再入国を妨害されないようにするため、本書も筆名で刊行した。

ラーキンは最後にはカターに向かうのだが、オーウェルが持ち主にとってきわめて高価な資産であるあの象を射殺した罰としてカター配属になったのかも知れないと彼女は示唆する。「ビルマの日々」の目玉であるカター・テニスクラブは今も存在している。クラブの建物は今では政府の共同組合倉庫になっている。テニス・コートは奇妙なことに審判の椅子と夜間照明もそのままだ。オーウェルにとってクラブはあらゆる帝国の不正の象徴だった。
帝国は消滅したが、不正は消滅していない。両方の体制で暮らすだけ年齢のいったラーキンのあるビルマ人の友人は彼女にこう語る「イギリス人は私たちの血を吸ったかも知れないけれど、ビルマ人の将軍達は骨までしゃぶるんだから!」

http://www.nytimes.com/2005/06/07/books/07grimes.html?ex=1275796800&en=ea8f8956abcbb6c4&ei=5090&partner=rssuserland&emc=rss

朝日の書評(2005/10/2(にも掲載されています。

http://book.asahi.com/review/TKY200510040274.html